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国立国際美術館「クリスチャン・ボルタンスキー展」

大阪国立国際美術館のクリスチャン・ボルタンスキー展に行きました。

 

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国立国際美術館へはよく行きます。

 

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宣伝ポスターの写真の裸電球を見て、記憶の中に残っているものがありました。もしかしたら・・・やはり調べてみると、以前行ったことのある豊島の「心臓音のアーカイブ」の作家さんでした。「心臓音のアーカイブ」は、たくさんの人の心臓音が保管されていて、暗い空間の奥にある電球が、心臓音の音響にあわせて点滅するという、あの世と胎内を感じさせるちょっと怖いインスタレーションでした。

 

今回のクリスチャン・ボルタンスキー展は、氏の作品を一同に集めた大規模な企画展です。何の前知識もないまま、作品を鑑賞しました。展示空間は暗くしていて、人のぼんやりとした写真、電球、映像、音を組み合わせて作品をつくっていました。「記憶」「死」「名もなき人」というのが感じた印象です。このたくさんの人物写真の素材はどこから入手したのだろう、ということを考えながら鑑賞していました。古い銀塩写真を拡大した曖昧な顔の写真をいっぱい使っているので、なんだかこの世ではない非現実感が醸し出されています。

 

あとで調べてわかったのですが、この作家はユダヤ系フランス人で、使っている写真はホロコーストに関係したユダヤ人たちの写真であるとか。なるほど。亡くなったユダヤ人たちに捧げるオマージュ的なアートなのですね。心臓音のアーカイブも同じコンセプトなのでしょうか。

 

生と死をテーマにしているせいか、日本の暗いお堂の中に、お地蔵さんや仏像がいっぱい並んでいて、あちらの世界を感じる宗教的な空間に近いものがあります。ただし、日本の仏教施設と違って、ボルタンスキー氏の作品からは理不尽な死、残酷な人間、無慈悲な神、人のはかなさ、個人の尊厳などを作品から感じるところ。とにかく陰鬱なものを感じます。

 

人に何かを感じさせるモノやコトをつくる活動は、すべて芸術活動であるので、これも明らかにアートではあるのですが、こんな暗いテーマを選んで、ずっと創作活動を続けてきたクリスチャン・ボルタンスキーという人は、芸術家として幸せなんだろうか、と作家の精神状態が少し心配になりました。私だったら作品づくりを通じて亡くなった人への共感が膨れ上がり、心が押しつぶされてしまうと思います。

 

それと、このアートってドイツ人は楽しめるのかな、というのも考えました。もしかしたら、楽しむというより、人間として深く反省するための作品なのかもしれません。ホロコーストを起こしたドイツ人に対する怨恨の作品ではなく、すべての人々に人間の残虐性、人間の尊厳について考えさせ、人間の善意と未来への希望を導くことを目的に、作品を作り続けているとしたら、人間の善意を信じているとしたら、この作家の創作活動は案外幸せなものなのかもしれません。