Cobalt's Photolog

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ヴォルフガング・ティルマンスの写真

ティルマンスを知ったのは15年前です。

 

東京へ出張して、打ち合わせまで時間に余裕があったので、近くのオペラシティアートギャラリーで開催されているWolfgang Tillmans展に行きました。東京は大阪よりもデザインやアートのイベントが多いので、東京へ出張して時間があれば、出来るだけ観にいくようにしていました。

 

ティルマンスのことは、何も知らなかったのですが、展示をみてとても感動しました。写真展に行って上手だな、と思うことはあっても感動することは滅多にありません。写真で感動したのは、ロバート・メイプルソープ以来でした。

 

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メイプルソープの話を出したので、彼について書いておきます。ロバート・メイプルソープは、70~80年代に活躍したアメリカのカメラマンです。1989年にエイズで亡くなりました。

 

ファッション、アートのカメラマンとして大成功し、華やかな世界で活躍し、自分がエイズになったとわかってからは、自宅でひっそりと花の写真を撮り続けました。私が感動したのはその花の写真です。見たときに、心を揺さぶられるかのように感動しました。

 

花瓶に生けられた花の写真のシリーズなのですが、何か命の儚さや、研ぎ澄まされた精神性が伝わってくるのです。写真という媒体が、作家の心をこんなに表現できるものなのか、こんなにも強いメッセージが生まれるのか、と感心しました。

 

ティルマンスの話に戻ります。

 

ティルマンスもファッション写真出身のカメラマンです。彼はスタジオで撮影するのでなく、日常のシーンを、美しく切り取る写真家です。例えば、脱ぎ捨てた服や、窓から見える風景や、人間のセクシャリティなどを、美しくあるいは赤裸々に生活感と一緒に写します。

 

さりげなく撮影したような写真には、明らかにカメラマンの感性と呼べるものが強く存在しています。それらを見て、彼はなんて素晴らしい才能だろうか、と驚嘆しました。

 

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そして、ティルマンスの写真を見ていると、「俺も頑張ったらこんな写真が撮れるのではないか」と思わせられるのです。

 

前述のメイプルソープの写真は、ほとんどがスタジオで撮影されたものです。人物も花の写真も、光を完全にコントロールし、美しい完璧な構図を作り出しています。

 

メイプルソープの写真を見ると、同じようなものを撮ろうとは思えません。スタジオあって、時間があって、金があったらいい写真撮れそうだな、とは思います。

 

ティルマンスの写真は、普通に撮っているようで、すごい写真だからすごいのです。

 

でも、いろいろ解説を読むと、ティルマンスは簡単に美しい写真を撮っているというわけではなく、ものすごい数の写真を撮って、選んでいるとか。しかしそれでも、すごいなあ、と思いました。

 

その後、ティルマンスの写真集を何冊か買って、自分なりに考察をしてみました。

 

いい写真が何か、というのは人によって違いますが、私にとっては心を揺さぶられる作品がいい写真です。まず被写体そのものに心を揺さぶられるという写真があります。猫好きな人が猫の写真を見たら、ほっとするような、クモが嫌いな人がその写真をみたら、気持悪いとか、戦場の子どもの写真とか、そういうものです。

 

でもそんな被写体依存の写真は、芸術写真とは呼べないと思います。

 

芸術というのは、やはりその言葉の意味の通り、作家の感性と撮影技術によって、被写体の魅力以上の感動価値を作り上げているものだと思います。

 

「感性」をもう少し分類します。

 

ひとつに、物語性というものがあると思います。写真から物語が伝わってくるかのような写真。時間の一瞬を切り取っているのに、その時間の前後を感じさせる写真です。人の脳は物語を好みます。

 

他に絵画性という表現があります。色彩、構図による視覚的な刺激が大きくなることを意図して撮影された写真です。抽象画っていうとわかりやすいと思います。描く対象に依存せずに、純粋な視覚刺激だけで、何かの感動を生じさせる絵画です。脳は視覚からの影響に強く反応します。

 

他にもあるとは思いますが、優れた芸術写真にはその両方が含まれていると思います。ティルマンスの写真は、物語:絵画=4:6くらいの割合でしょうか。そして、あえて被写体としてはそれほど魅力の無いというのがすごいです。

 

ティルマンスを知ってから、彼のような写真を撮ってみたいと思し、私はデジタル一眼レフを買いました。ニコンのD70でした。休みの日に、ロードバイク(自転車)に乗って、街中のあちこちの写真を撮りました。

 

被写体としてそれほど魅力のないものを探して、考えて撮ってみるということを1年くらいやりました。いいものは出力して額に入れて部屋に飾りました。残念ながらHDのトラブルで、データを失ってしまったのですが、面白い写真がたくさん撮れました。

 

今はそのときのような目的で写真を撮ることはなくなりましたが、私の写真撮影表現の引き出しのひとつにはなっています。