Cobalt's Photolog

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写真の鑑賞方法、暗室の行方

最近、写真の趣味は何をどんな風に撮るか、撮ることだけを考えるのではダメだなあ、と考えるようになりました。きっかけは、印画紙の現像をやってみようと思っていることや、写真を4Kの大型TVで観たことなどです。

 

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Full HDが出た時は、大型テレビを買って、最初は写真も観たりしてましたが、解像度が足りないので写真観賞には使わなくなりました。Full HDの1920X1200ピクセルでの大型のモニターではピクセルがわかってしまうので、感動がないのです。それでデジタルの写真を観るのは、デスクトップのPCのモニターだけになっていました。

 

新しく買った4Kテレビは、解像度3,840×2,160ピクセルで、画面のサイズは55インチです。PCモニタの数倍の大きさで、ピクセルが小さいので写真の鑑賞にたえられます。10.1型(2560×1600)液晶タブレットから、ミラキャストで画像を転送して、静止画の鑑賞を楽しんでいます。また有機ELの表示は、液晶よりも綺麗です。

 

4Kを買うまでは、大型テレビでの写真鑑賞は出来ないと、フルHDの頃の印象を引きずっていました。しかし4Kで大きく表示すると、小さな写真集で見るよりも美しく、写真の鑑賞方法作品として印刷物よりもよいのではないかと、思い始めています。4Kでそう思っているくらいなので、8Kになってさらに大型化すると、写真をインクジェットで大判出力する人はいなくなるのではと思います。

 

そういえば、液晶ディスプレイの技術者が、印刷物なんて将来無くなるよ、と言っていたのを思い出しました。極端だよそれは、液晶は目が疲れるし、と言い返していましたが、最近はノングレアで色再現性もよくなって疲れない液晶もあります。

 

写真は光を写したものなので、印刷よりも透明感が出る透過型ディスプレイのほうが美しく、液晶ディスプレイが紙の代替になっていくというのは正しい予測でしょう。

 

 

そんなことを考えながら、趣味の写真を撮る目的についても、考えなおすようになりました。

 

今までは、カメラの使い方や、撮影技術を向上させようと、いろいろ撮影をし、撮影機材も揃えてきました。

 

しかし撮影しても、ほとんどがパソコンで撮影結果を確認をして終わりです。あとはモデルになってくれた人にデータを送るくらい。撮った写真をどうこうすることはありません。ハードディスクの使用領域ばかり増えていきます。

 

趣味だから目的なんて必要ないし、それでもいいのでは、とも思いますが、どういう写真を撮りたいのかというゴールがないから、機材や技術にばかりに関心が向くのだと思うのです。

 

そもそも何のために写真があるのかを考えると、やはり出来上がったものを鑑賞するためです。ヴィヴィアン・マイヤーのように撮ってばかりいる人もいますが、撮るためよりも見るために写真はあるべきです。

 

昔は写真を鑑賞する方法として、ネガを印画紙にプリントするしか方法がありませんでした。それからネガではなくポジフォルムをプロジェクターで映す方法が生まれたり、大量に写真が印刷されるようになりました。写真がデジタル時代になり、インクジェットの技術が発達すると、写真集はオフセットではなくインクジェットでのオンデマンド印刷になり、高画質なプリントが家庭でできるようになりました。そしてインターネットが発達し、ネット上で写真を共有する文化が生まれました。

 

カメラマンの仕事も、街の写真屋の技術者から、マスコミ用の写真を撮影する、報道やファッションの専門の写真家が生まれ、写真がアートとして見られるようになると、芸術系の写真家も生まれました。

 

写真技術の歴史を考えてみると、銀塩の写真技術が発明された1840年代から、200年近くで技術は大きく変化しています。その大きな流れからみると、私が学生時代に夢中になった白黒フィルムの印画紙プリントも、一過性の技術でしかないのかもしれません。

 

昔はインクジェットプリンタもなく、高精細な大型モニターもなかったので、大きく印画紙にプリントしたものは特別な価値がありました。今は同じようなことをインクジェットプリンタで簡単に行えます。デザインの仕事でポスターのデザインを大判プリンタで出力したりします。最初の頃はすごい便利と感心していましたが、今では当たり前になって、趣味の写真を大きく出力したいとも思わなくなりました。

 

写真集をつくるのも、昔はオフセット印刷で製本するしかなかったのですが、今はオンデマンドのプリンタで一部から制作してくれるサービスがあり、ネットで簡単に注文できます。写真の作品を作ろうと思えば格安でつくれるいい時代です。

 

そんなことを考えていたら、暗室をつくって、フィルムを現像し、引き伸ばし機で印画紙に焼き付けるという行為に、どんな意味が出てくるのか、と疑問に思い始めました。もちろん廃れていく技術には希少価値があるのですが、過去を懐かしむノスタルジーでしかないのかもしれません。

 

  

自分の中では暗室をつくることで気分が盛り上がっていたのですが、ノスタルジーに浸ることが、いいことなのか、ずっとそれを楽しめるのか、すぐに飽きてしまうのではないか、と迷っています。

 

暗室をつくる目処はたったのですが、機材をそろえるのには少し慎重に考えたほうがよいと思います。まずはパソコンのモニターを4K化しようっと。