今年は、人がいないところに行こうと、よく休日に山に登ったりしています。私は持久力がなく、山登りなど苦手だったのに、コロナ禍の閉塞感のおかげかもしれません。
山登りは楽ではありませんが、山上の見晴らしのいい場所まで辿りつくと、とても気分がいいです。写真が目的の登山ではないので、気が向いた時に撮影をしています。
1. 広がる景色の写真について
山上に登っての最大の喜びは、広がる大地と空の広がりを感じることです。遠くにある地平線、そしてどこまでも広がる空を眺めるのは気持ちがよいです。自分の存在をちっぽけに感じて、普段の悩みも些細なものに思えてくるので、気持ちが晴れます。
毎日雑然とした街並みばかり見ている都会人にとっては、特にそう感じるのでしょう。心理学の本で読んだのですが、我々の遺伝子には、進化の過程において、天敵から襲われる恐怖や警戒心が残っていて、敵に襲われることがない広い空間にいると、気持ちが安らぐという面もあるそうです。
そういう場所では、このいい気持ちの景色を記録しようとカメラを出します。でも、ファインダーをのぞくと、ちょっと違うなあ、と思うんですよね。カメラで見る世界は、今の自分の感動とは違う、と思ってしまうのです。
理由は、ファインダー越しに見る世界が、目の前に広がる空間よりも狭いからでしょう。カメラで風景を部分的に切りとってしまうと、感動も切りとられるような気がします。
写真は、目の前の光景をトリミングすることで、不要な情報をカットし、限られた画面の中で世界観を作り上げます。だから被写体が広がる自然の場合、切りとるという行為で、何か大事なものがカットされた気がするのですね。
だから、写真を撮ることよりも、自分の視覚を記憶に残すほうがいいのでは、と思ってしまい、写真を撮る時間が勿体なくなります。記憶に完全に残すことは不可能なのですけど。
ただし、これが日の出や日没という時間だと違ってきます。目の前の風景の色彩が、太陽の光によって、様々な色合いになるため、構図として切りとっても絵になる気がします。でも、朝陽や夕陽を山上から写真に収めようとすると、夜間の登山か下山をするか、山上で一泊するかしないといけないので、写真を撮るハードルが上がってしまいます。
2.木を撮ることについて
山を登っていて、広がる景色の次に面白い風景は、植物が作り出す光景です。「気になる木」っていうCM曲もありました。その通りで、"気になるもの"はだいたい"木になります。
たぶん自然の中では、ありふれた風景だとは思いますが、都会で暮らしていると、変な形をしていたり、おかしな生え方をしている木は、とても面白い被写体です。そういうのを見つけると、なんとか面白い構図にならないか、と撮ったります。でも、これらの写真を撮るときは、構図のお手本や定石がないので、どう撮ればいいのかよくわかりません。家に戻って写真を見てから、もっと面白い撮り方があったのではないかと、現場に戻りたくなることがあります。
3.山道を撮ることについて
山道も楽しい被写体になります。自然の中に人がつくった道は、なぜか絵になります。自然でありながら、人が写っていなくても、そこに人間を感じさせるからでしょうか。
たまに倒木があったりすると、秘境感が出てくるので嬉しいですね。
山へ持っていくのはZ50とNIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRのレンズキットです。このカメラはとにかく軽いのが良いところ。本体(450g)とレンズ(135g)あわせて585g。ウェストバッグに入れておけば、手ぶらで山を登れますし、首も肩も凝りません。外観デザインではNikon Zfcのほうが、レトロ風でよいですが、グリップはこちらの方が持ちやすいですね。実利性だとZ50のほうがよいと思います。