自宅には暗室をつくる場所はないのですが、自宅近所で暗室として使える場所が確保できたので、少し手を入れて、以前よりやりたかった銀塩写真をやってみようかな、と最近考えています。
しかし、私には道具や環境だけ整えて満足してしまう傾向があるので、まだ道具などの購入はしていません。私の部屋には、カメラ関係では、使っていないレンズ、勉強ではたくさんの英語の本、読んでいない専門書、数時間しか遊んでいないPS4やソフト、使わなくなったヘルメットや、着ていないバイクウェアなど、様々な無駄が転がっています。
暗室をつくるとなると、機材購入費や改装費用で20万円くらいはかかりそうです。作ったはいいけど、すぐに飽きて使わなくなったら勿体無い。おっちょこちょいで飽きっぽい自分の性格が信じられないので、ここは少し冷静になって、暗室をつくるべきか、しばらく熟考したいと思っています。
まずは、暗室を作る目的についてまとめてみます。
目的1.暗室作業は懐古趣味(ノスタルジー)
なぜ暗室をつくりたいのか。それは暗室作業をしたことがあって、とても楽しかったし、いつか暗室が欲しいとその頃強く思っていたからです。
カメラを始めたのは高校生の頃でした。その頃はデジタルカメラがなかったので、フィルムカメラで撮影をしていました。親に買ってもらったMinoltaのカメラにTokinaの80-200のズームレンズをつけて、いろんなものを撮っていました。学校の部室の暗室で、モノクロフィルムの現像や、印画紙への焼付けなどを行いました。文化祭では作品を展示し、販売したりもしました。自分の写真を女子が買ってくれた感動は今でも覚えています。
たぶんそういう経験も影響していて、大学は工業デザインの学科に進学しました。大学でたくさんの制作課題に取り組み、自分の作品の記録としてカメラが活躍しました。デザイナーとして就職してからは、デザインの作業もデジタル化が進み、カメラもデジタルになり、フィルムカメラを使うことはなくなりました。
高校生の頃のフィルムカメラの現像の楽しさは、私の青春の思い出のひとつです。時々その頃が懐かしくなって、いつかまたやってみたいなあ、とずっと思うようになりました。それもあって、昔欲しかったNikonのフィルムカメラを何台か購入しました。FM3AやF3などを手にすると、今でもあの頃の感覚や記憶が蘇ってくるようです。
集めたフィルムカメラを道具としては使っていませんが、プロダクトデザインは美しく、モノとしての存在感があり、コレクションとしての価値もあります。そしてフィルムカメラ用のマニュアルレンズは、今のデジタルカメラでも使えるので、それほど無駄な投資ではなかったとはいえます。
しかしさすがに引き伸ばし機などは、現像で使わないと邪魔になる粗大ゴミ。買ってから使わなくなったら、処分に困りそうです。
しかし暗室をつくったら、あの昔の感動を再び経験できるような気がします。苦しかったり、切なかった青春も思い出すでしょう。
それが暗室をつくる私の中の価値であると思います。これってもしかしたらバイクに乗るのに似ているのかな。その当時を懐かしむことが、自分の中で大切であれば、暗室を作る価値は大きいでしょう。でも、昔を懐かしむより、今や未来を追及するのなら、暗室にはあまり価値がないのですよね。
目的2.暗室作業は秘密の楽しみがある
高校生の時代はパソコンやデジカメがまだなくて、写真はアナログしかありえませんでした。何かを写して自分の記録にするのにはフィルム写真しか手段がなかったのです。写真を撮って現像し印画紙に焼き付けるのは、街のDPE(ディー・ピー・イー、英語: Development - Printing - Enlargement の略、「現像・焼き付け・引き伸ばし」の意)のお店に依頼するのが一般的で、自家現像というのは、お店に依頼できない写真をつくれる利点がありました。
例えば、好きな女の子の写真など、人に見られたら恥ずかしい写真を、こっそり撮って現像したりできたのです。当時は盗撮という言葉もなく、人は撮影されることに警戒心を持っていない時代でした。ネットでの拡散というリスクもなかったので、社会的問題もなかったのです。
今はデジカメで撮った写真は画面ですぐ観れます。迷惑行為防止条例があり、こっそり他人を撮ったら逮捕されますが、お金を出せばヌード撮影会だってありますし、無修正の写真を撮ろうと思えば簡単です。でもそんな写真なんてネットにいっぱい転がっているから、撮影する意味もありません。
何がいいたいのかというと、当時の暗室はドキドキする秘密の楽しみ感があったんです。暗くて赤い部屋で、こっそり現像するという行為に何やら怪しげなものがありました。でも今は、デジタルカメラがあるので、そんなものは不要です。
秘密の写真を作る場所、という暗室が持っていた世界は、今はもう無くなったのです。
目的3.暗室作業は化学実験場である
銀塩写真は化学反応で像を描くため、理科大好きな私としては夢中になりました。現像液に印画紙を浸して像がでてくると胸が高鳴りました。せっかく撮った写真の現像に失敗し、がっかりしたこともありますが、それもいい思い出です。暗室作業はそういう理科的な実験作業の楽しみをもたらしてくれます。
これは何もかもデジタルになってしまった中で、貴重な体験かもしれません。わざわざアナログレコードで音楽を聴くようなものかもしれません。ああ、それは懐古主義の楽しみですね。
目的4.暗室作業はアート工房
印画紙での焼きつけを作品としてつくるという目的で、暗室をつくるという考えです。この目的が達成できれば、暗室は価値あるものになります。もちろん撮影されたフィルムに映っている写真に価値がなくてはいけません。
デジタル撮影されたデータをプリンタで出力するよりも、フィルムで撮って印画紙で焼かれるほうが雰囲気はあります。でもそうするべき価値のある写真とは一体なんでしょうか。おまけにモノクロフィルムで。
デジタル写真は、表示モニターが技術的に進化するに従い、紙ではなくモニターに表示することが、作品の最終展示方法になっていくような気がします。
ネガで撮影し印画紙に焼き付けるより、ポジで撮影するほうが美しいと考える人はフィルム時代にもたくさんいました。写真は光の記録です。光の記録であれば再現も反射型でなく透過型の光のほうが、表示方式として優れていると考えるのは当然です。そう考えると、印画紙に焼くという行為に、新たなアートの価値が生まれるか疑問です。
ということで・・・
暗室をつくると確実に目的1は満たされますが、他の点では微妙です。私として重要なのは4番目の目的です。もう少し考えてみたいと思います。