Cobalt's Photolog

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レンズ沼写真を卒業するぞ、と決意してみる

私はカメラのレンズが好きで、現在所有しているレンズは、単焦点レンズを20本、ズームレンズが4本もあります。これでも少し処分して減らしたのですが、やはり多いなと思います。これは自慢じゃないですよ。ほとんどが安いレンズです。

 

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これだけ持っていると、一年に一度も使わないレンズがほとんどです。そもそも月に数回程度しか、カメラを持ち出すことがないアマチュアですから当たり前です。

 

そんな素人が、何故こんなにレンズを買ってしまったかというと、所謂レンズ沼というものにここ数年間ハマっていたからなのです。レンズ沼とは、写真を撮ることよりも、レンズの方に関心を強く持つようになり、いろんな種類のレンズが欲しくなってしまうという、カメラ趣味の人がかかる不治の病といわれています。

 

しかし、こんなにレンズを買い集めても、私はプロのカメラマンではないので、仕事で写真データを入稿するわけでもなく、大きく引き伸ばすこともありません。アマチュアのサンデーカメラマンであるのにもかかわらず、使わない機材をたくさん持つのは、我ながら馬鹿だなあと思います。まあ、どんな趣味の世界でもいろんな道具が欲しくるのだから、私だけではないと自己正当化してみたり。趣味では、道具を触ってるだけでも楽しいですからね。

 

ただし、カメラの場合は、レンズが増えるとレンズ優先の撮り方をするようになるのが困ったところです。例えばポートレートを撮る機会があった時、私は先にどのレンズを使うかを考えます。あのレンズはしばらく防湿庫から出していないから久しぶりに使ってみるか、などと考えて最初にレンズを選ぶようになるのです。

 

普通は、撮りたい写真や目的が先にあって、それに相応しいレンズを選ぶべきなのに、先にレンズを選んで、それからどんな写真を撮るか考えるようになるのですね。そしてレンズが決まったら、そのレンズの性能や特徴を出せるような写真を撮ろうとしてしまう。f1.2の明るいレンズであれば、それを生かした写真を撮りたくなる。例えばこんな写真です。

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これはAi 50mmf/1.2S で撮った写真です。開放ボケが作り出す背景のことばかり考えて、被写体を綺麗に撮るということが、後回しになっている作例です。

 

機材のローテーションを先に考えて、そしてまたレンズの特徴に引っ張られる写真を撮るようになってしまっているのです。

 

でも、こうした撮り方をしている人は、私だけではありません。多くのレンズ沼の住人が陥りがちなところではないでしょうか。SNSやブログにのった写真好きの人の写真を見ていると、作品の主題が被写体ではなく、レンズの性能を証明することが目的になっているような作品が散見されます。特にボケを使った写真においては、そうした傾向が強いです。

 

私もレンズオタクなので、それら同好の士の気持ちもよく理解できます。とにかくレンズの性能を、ボケを試したい!なのですよね。

 

でも、本当の写真の主題はレンズではなく被写体です。やたらボケばかり目立つのは、あまりよい写真とはいえません。ボケを楽しみたいのだったら、ボケを主人公とした作品を撮ればよく、女性の被写体はなくてもよいでしょう。このあたりはアマチュアとプロの撮り方の違いでもあると思います。プロの撮った写真は、ちゃんと被写体が主役になっていますから。

 

まあ、いい写真というものが何かという判断基準は、人それぞれで異なるし、自分が楽しければいいじゃん、という考えもあるでしょう。半面誰しもよい写真を撮れるようになりたい、と思う気持ちもあります。よい写真を撮るためには、写真に詳しくない人の心をどう動かすか、ということを物差しにしたほうがいいと思うのです。そうすると、まず被写体が美しいこと、そして撮影技術によって、さらに魅力的にみせる構図や、色彩、諧調の豊かさなどが、付与されているという、基本を押さえることが大事だと思います。

 

最近、コロナで外出自粛などがあって、写真を撮る機会も減ったせいか、新しいレンズに対する購入意欲も減りました。買っても撮りに行けない、ということです。そして写真機材に対する関心も低下してしまいました。

 

物欲旺盛な時は、レンズのスペックや作例などをネットで漁ってましたが、今はいろいろな写真集を見るほうが増えています。これはどの焦点距離のレンズで撮ったのだろうと、気になるところも最初はありましたが、次第にレンズばかりを気にするのは、そろそろ止めにしよう、と思うようになってきました。

 

そして自分の撮影スタイルも見直して、変えようと思っています。しばらく次のように撮影することにしました。

 

1.単焦点レンズを封印しズームレンズを使う。

 

これは今までやってきたことの逆です。今までは、出来る限りズームレンズを使わずに、単焦点レンズを多く使って撮影してきました。焦点距離による画角の違いと、構図を頭に入れるためです。

 

でもそれは終わりにします。単焦点でないといけない場合(歪みを出来るだけなくす、明るさが欲しい)以外は、ズームレンズを使うことにします。ズームレンズだって、とても綺麗な絵をつくるのですから。

 

2.ソフトフィルターは使わない。そしてフォトショップを使う。

 

私はフォトショップを使いこなせます。もう20年以上も前から仕事で使っているからです。しかし、一眼レフカメラで撮った写真を、フォトショップで加工するのは最小限にしようとずっと心がけてきました。

 

理由は二つあります。ひとつめは、最初からフォトショップで加工することを前提に撮影すると、撮影技術が向上しないからです。例えばRAWデータで撮って、後からパソコンで現像しようと思うと、撮影に手を抜くようになりがちです。それよりJPEG書き出し一発で決めるぞ!と思っていたほうが、撮影時の設定にシビアになり、集中できると思うのです。

 

もうひとつめは、フォトショップで加工すると、写真というより絵になってしまうからです。もともとフォトショップを使い始めたのは、画材を使って手書きをしていたデザイン画を、パソコンで作業したかったからでした。失敗したところを取り消したり、作業の途中を保存しておけるパソコンでのデザイン作業にメリットを感じたからです。なので、私にとってフォトショップで作成したものは「絵」であり「現実ではない世界」でした。

 

しかし、写真は現実を写すリアルなもののはずです。というか、そういう思い込みを強く持っていたので、写真というからには、フォトショップで加工するのは良くないと思っていました。

 

例えば、月のちょうど手前に、飛行機のシルエットが重なっている写真をよく見かけます。たぶんあれはほとんどCGで合成されたものでしょう。本当に撮影しようと思うと、飛行機の飛んでくるコースに月がちょうどかかっていなければいけません。そのシャッターチャンスをつくるのはとても大変な作業です。でもフォトショップだったら、月に飛行機の影を合成するだけ。10分もかかりません。これは、ある意味シャッターチャンスを偽造している行為といえませんか?他にも、HDRなど、色や光を極端に加工して、劇的な画面に変えたものもあります。そんなものは、果たして写真といえるのでしょうか。

 

そのような理由があって、撮影したデータをフォトショップで加工するのは、よくないことだと考えていたのです。したがって、女性のお肌の荒れを目立たせなくするのも、撮影時にソフトフィルターを使うようにしていました。なんだかまるで撮影画像原理主義者のようですね。

 

でも、最近ちょっと撮影画像原理主義も極端な思想だな、と思うようになってきました。動画映像には、そんな主義思想は存在しません。作品は編集したもので、撮影した映像はあくまで素材。同じように写真も考えると、最終的に作り上げる画像が作品なら、撮影した画像は素材にしか過ぎないということになります。

 

それに、今の時代は、女子高生でもスマホで画像加工アプリを使いこなしているのです。せっかく高性能なアプリケーションソフトを使えるのに、それを活用しないのも、なんだか損してるような気もします。フィルムの時代はとうの昔に終わり、デジタルデータの時代なのですから、画像をパソコンで加工できるメリットを生かすほうがクリエイティブですね。

 

と、レンズやフィルターで工夫するのは止める代りに、フォトショップは今後使うことにしようと思っています。

 

撮り方を変えていくと、もしかしたら今所有しているたくさんのレンズが不要に思うようになるかもしれません。それはちょっと惜しい気はします。