あべのハルカス美術館で開催中のギュスターヴ・モロー展へ行きました。
サブタイトルは「サロメと宿命の女たち」です。
モローのお母さん、恋人、そして絵の題材になった世紀末ファム・ファタル(宿命の女性)など、女性をテーマに展示をまとめていました。
私はモローの絵も、題材も好きなので、とても堪能できました。小さな素描から楽しめました。素晴らしかったです。
フランスのモロー美術館についても、どんな雰囲気かがわかるように説明されていて、行ったことありませんが、いつか行ってみたいなと思いました。やはり本場の美術館は密度が違いますからね。まあでも1500円で日本でこれだけの絵を観れるのはお得です。
展示の目玉は、この有名なサロメの絵です。
ヨハネの首が浮いているのは、サロメの幻視とされています。
19世紀末の絵画や文学は、幻想的で神秘的、退廃的な特徴があり、いろんな作家がいます。私も昔からオスカー・ワイルドやピアズリー、ミュシャやクリムトなどが好きで、展示会があればよく行ってます。
オスカーワイルドのサロメの戯曲や舞台は若い時にすごく好きでした。サロメが、預言者ヨカナーンの首に口づけするクライマックスを初めて読んだ時は、ちょっと震えましたね。サロメはワイルドの一番の代表作だと思います。
もともと新約聖書に載っていたサロメの話は、お母さんにそそのかされてヘロデ王にヨカナーンの首を所望するというだけの話。サロメは世間知らずので頭の弱い踊りのうまい娘でしかなかったのに、世紀末デカダンスのワイルドやモロー達に料理されてに、サロメは怖い魔性の女としてのイメージが定着してしまいました。それが美しさとして表現されたのが世紀末芸術だったのです。
そういう文学的な視点が、モローの絵の魅力とされていますが、今回のモロー展で私が楽しめたのは、純粋に視覚的芸術としての視点です。絵の下描きとなる、いくつかの小さな絵によって、モローの絵について別の理解ができるようになりました。
モローの絵画は、広い背景に主題となる人物が小さく描かれているものが多々あります。主題が人物であるにもかかわらず、人物はちゃちゃっと描かれているものが多い。
それでも絵にものすごい力強さを感じられるのは、背景の色彩とタッチによるものであることは、絵を観たら感じます。今回は、構想段階の小さな絵がいくつか展示されていて、モローが配色とそのバランスを事前によく考えて作品をつくったということがよくわかりました。
その絵が抽象画のように美しいのですね。モローが描きたかったのは、主題でもある女性たちでもありますが、色彩、闇、光が生み出す視覚的な官能の世界でもあったのです。
あべのハルカスは、夏休みということもあり、ものすごく人は多かったのですが、12時頃に美術館に入ったせいか、展示会は混みまくりというほどではなく、ゆっくり鑑賞できました。